ジャン=ジャック・ルソー
ジャン=ジャック・ルソー (フランスの思想家、1712年 - 1778年 享年66歳) | |
最期の 言葉 | 「気を落とさないようにしなさい。見てごらん、空はなんときれいに澄んでいるのだろう。私はあそこへ行くんだよ」 |
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ルソーはいわゆる自由主義の思想の持ち主で、その自由主義は(彼の死後の話ですが)フランス革命を支えたといわれます。
一方、教育論『エミール』で有名になっていながら、自分の5人の子どもには見向きもせず、捨て子養育院に次々と放り込んだジャン・ジャック・ルソーの価値観は謎に満ちているんですね。
そして、この最後の言葉・・・・・・。
「気を落とさないようにしなさい。見てごらん、空はなんときれいに澄んでいるのだろう。私はあそこへ行くんだよ」
残される妻を気遣って、やさしさに溢れているではないですか。
優しいのか、残酷なのか・・・・・・矛盾に満ちているからこそ彼は天才、しょせんは凡人の思考の及ぶところにはいないのかもしれません。
ちなみに、ルソーといえば「自然に帰れ」の名言で有名です。
しかしその言葉は有名だけれど、実はルソー本人に一度も言われたことも、本に書かれたこともない「ウソ名言」。
著作を見る限り、ルソーが使う「自然(状態)」の単語は、無秩序状態というような意味でネガティブに使うことが多い単語でした。
ヴォルテール
ヴォルテール (フランスの思想家、1694年 - 1778年 享年84歳) | |
最期の言葉 | 「静かに死なせてよ」 |
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先ほどのルソーと並び、18世紀フランスを代表する思想家がヴォルテールです。
自由を求める彼の思想は、ときのフランス国王ルイ15世と対立し、長い期間をスイスなどで過ごしました。
ルイ15世の死後、1778年2月10日にパリに戻ったヴォルテールを迎えたのは、なんと熱狂的な市民の歓迎だったといいます。
思想家と一般市民の関係がこんなにも「近い」ものだったのには驚かされてしまいますね。
さて、ヴォルテールは無神論者として有名でした。
当時のフランス王国ではそれだけで罪に値します。死にいたってもその気持はかわりませんでした。
当時は臨終に際し、キリスト教の聖職者が枕元に呼ばれ、亡くなりゆく人が最後の懺悔を行うのを見守ります。
ヴォルテールは司祭から「あなたはもう亡くなるのです。イエス・キリストの神性をお認めになりませんか?」などと遠回しに無神論を撤回しろ(さもなくば地獄行きですぞ)と言われています。
するとヴォルテールは「キリストぉ? キリストだって?」などと連呼。
司祭をグイッと両手で押し戻し、「静かに死なせて」と一喝してしまいました。
彼が亡くなったのは、パリに帰還してから4ヶ月も経っていない、1778年5月30日夜11時ごろでした。
彼の魂がその後どうなったかは、「神のみぞ知る」といったところでしょうか。
アダム・スミス
アダム・スミス (イギリスの経済学者、1723年 - 1790年 享年67歳) | |
最期の言葉 | 「みなさんといっしょにいたいのですが、もうお別れしてあの世へゆかなければなりません」 |
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経済学者アダム・スミスはいわゆる「自由主義経済」、政府は経済などを「神の見えざる手」に任せ、あとは放置しているのが一番という経済学を提唱したことで有名です。
それが「正しい」のかどうなのかは、歴史と経済の局面によると思われますが、『国富論』などアダム・スミスの著書は、経済学を志す者にとっては必読の書でありつづけています。
さて、そんなアダム・スミスですが仕事をしながら老母の面倒もみていました。
母の手一つで育てられ、裕福とはいえない中でも学問を極めることができた恩を感じ続けていたアダム・スミスは、そのせいか結婚もせず、母親に尽くし続けました。
おだやかで勤勉という理想の息子でした。
しかし彼が61歳になったとき、母親が90歳で亡くなります。
するとアダム・スミスはやせ衰えはじめました。慢性腸疾患だったといいます。
1790年7月半ば、友人たちの助けを借りてアダム・スミスは未完成原稿を記した16冊ものノートを焼き捨てます。
まさにその直後、友人たちとの晩餐中に疲労を隠せないアダム・スミスを心配した友人たちは、早く寝室に引き上げるように進言します。
アダム・スミスは微笑みながら「私はみなさんといっしょにいたいのですが、もうお別れしてあの世へゆかなければなりません」といってダイニングルームを去り、ベッドに入り、そのまま目を覚まさぬまま7月17日に亡くなったとのことです。
歴史エッセイスト・作家 堀江 宏樹
ちなみに彼のことを「スミス」とファミリーネームで呼ばないのには伝統があります。これはスミスという姓名がイギリスにあまりに多いからだとか