チベットで鳥葬が求められる理由とは
1965年以降、中華人民共和国の共産党政権によって「解放」が行われたチベットは、現在では中国の「自治区」です。彼らの宗教は俗に「チベット仏教」と呼ばれる、仏教の一宗派であり、中国軍による「解放」以前はチベットの名実ともに「首長」であったダライ・ラマはごく一部の側近たちと共にインドに亡命し、チベットを去っていきました。
しかし、ダライ・ラマたちに去られた後でもチベットの人々の生活に「チベット仏教」の影響は大きく、現代でもできることなら、葬儀は鳥葬で行いたいという人々が多いようですね。
というのも「チベット仏教」では、宇宙の生成要素は、「地」「水」「火」「風」「空」の五元素だと考えており、その「空」に近づくほど高く、尊いものだと信じられているからです。故人の遺体をハゲワシに食べつくしてもらい、鳥たちと共に空に飛びたたせる鳥葬がチベットで今もなお、重視される理由はよくわかります。
魂のゆくえを握るラマ僧(祈祷僧侶)
チベットでは家族の誰かが亡くなると、特別な祈祷を行うラマ僧(=チベット仏教の僧侶)が呼ばれてきます。そして「ポワ」と呼ばれる、魂を別に移動させる「遷魂の儀式」が僧侶の手で行われるまで、いくら家族といえども、遺体に触れることは厳禁とされています。
儀式の末、遺体から切り離された魂は生前、善行を詰んでいれば極楽へと向かいはじめ、悪行が多ければ地獄に落とされると考えられます。しかし、祈祷僧の祈り次第で、それなりに問題のある魂も天国に向かわせることもできるのだそうな。
葬儀の日取りは占いで決定されます。その日までは、遺体は「キイルジャン(天葬師)」と呼ばれる遺体処理人によって手足を折り曲げた状態にされ、ロープで縛られ、白い布でくるまれた末に特別な台の上に安置されます。そしてその状態で、自分の家で最後の日々を過ごすのです。
遺体の前には白いカーテンで仕切りがつけられてはいますが、故人の使っていた食器に食べ物が盛り付けられ、お供えされています。また、葬儀の日まで昼夜を問わず、バターを溶かした油を使った明かりが灯され、亡くなった方の生前の罪業消滅を目的としたラマ僧の僧侶)の祈祷も続きます。遺族は黒い衣服を着用してすごし、服喪のために、アクセサリーをつけたりはおろか、洗顔することさえ許されません。これらが、日本でいう「お通夜」に相当する儀式といえるでしょうか。
葬儀の当日は、午前4時頃に相当する「寅の刻」に、遺体処理人・キイルジャンに担がれた故人の遺体が家から出ていきます。しかし、遺族や会葬者たちは、故人の遺体が自宅の門前に置かれた香炉台の前で、右に3回、左に3回、回されたのを見届けると、葬列の後は追わず、各々の家に帰ってしまうのでした。
キイルジャンたちによって遺体は、鳥葬場に指定された山の上まで運ばれ、そこに設けられたレンガで作られた台に乗せられます。チベットの首都にあるセラ寺は観光名所でもありますが、そのすぐ側の山頂が鳥葬場になっているのです。
僧侶たちから改めて祈祷を受けたのち、遺体はうつ伏せにされ、ハゲワシの食欲を増させるべく、外国人の目にはなかなかショッキングな“下準備”が加えられていきます。刃物を手にしたキイルジャンによって遺体の背中が切りきざまれ、ついで胸部や腹部の肉は切りとられて、ロープに結び付けられます。
最終的には頭蓋骨が石で打ち砕かれます。これは、故人の脳まで確実にハゲワシに喰らい尽くしてもらえるための工夫です。他文化の我々には残酷な仕打ちと思われるかもしれませんが、魂の宿る場所として、頭部はチベット仏教では最重要視されている身体の箇所なのです。
ハゲワシが減少?!伝統的な「鳥葬」に影響
信仰深さで知られるチベット人にとって、肉体は魂が宿る器に過ぎません。そして「死」とは魂を肉体から切り離し、「仏の意識」に近づく“チャンス”なのでした。それゆえ、魂が抜け出た後の自分の肉体を、神聖視された鳥であるハゲワシに分け与えることは、お布施の行為なのです。鳥葬場の近くには、こうした人間の事情を理解しているかのようなハゲワシたちが住んでおり、あっという間に故人の遺体は白骨化するのでした。
鳥葬後も7日毎に法要があり、喪明けは日本と同じ49日後とされています。ここで故人の魂が無事、次の生を得たことをお祝いするための宴が催され、葬儀で世話になった僧侶たちには数々の贈答品を送り、弔問客にはお茶やお酒が振る舞われます。
しかし、今日のチベットでもインドと同じく、農薬に汚染された家畜の遺体を食べてしまったことでハゲワシの数がかなり減り、伝統的な鳥葬の実行は次第に難しくなってきているシビアな現実がありました。
しかたなく火葬が選択されるケースが増えているようですが、故人の兄弟が、魂の宿る場所として考えられる頭部に点火することで始めねばならないなど、火葬にも厳密なルールが設けられています。また、チベットでは僧侶は鳥葬されず、必ず火葬で見送られるものだとされていることは興味深いですね。
伝統的にチベットでは、「空」が尊ばれ、それゆえ鳥葬が重視されてきました。その反面、もっとも程度が低いとされる宇宙の創造要素「土」に遺体を埋めてしまう土葬は、あまり喜ばれる埋葬法ではありません。昔から伝染病などで亡くなった方の遺体の埋葬といえば、土葬に限られており、鳥葬や火葬にすることは厳禁されていたからです。地中深くまで掘られた穴に、まるで隠すように家族の遺体を埋葬せねばならない遺族の悲しみを考えると、なかなかやるせないものがあります。
歴史エッセイスト・作家 堀江 宏樹
鳥葬の伝統は、かつてネパールの一部などにもあったようですが、現在までにその多くが途絶してしまいました。鳥葬の伝統が残っているのはチベットだけということもあり、外国人観光客がその様子を見学することができたようです。パッケージツアーの目玉になっていたことも……。しかし2005年以降、鳥葬の様子を部外者が見学することは、道徳的観点から禁止となりました。