20世紀を代表する天才物理学者・アインシュタイン。
「あっかんべー」風に舌を出したコミカルな肖像写真で有名ですが、あれはテレかくしの表情だったようです。
ほとんど笑わないアインシュタインをなんとか笑わせようとした記者のたくらみにのって、あやうく笑顔を撮られそうだったのを、舌を出してごまかせたとかいう苦心の一枚でした。
あの時、アインシュタインは74歳の誕生日でした。
あと約2年で自分の命が尽きるとも考えていなかったでしょうし、その後のとんでもない悶着など、想像もできなかったに違いありません。
「相対性理論」はツマラナイ仕事の現実逃避から生まれた?!
derivative work: Ylebru (talk)World_line2.svg: MissMJ [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で
有名な「相対性理論」をまとめあげたのは、アインシュタインが26歳の時でした。
そう、例のあっかんべーの写真から約50年ほど前のアインシュタインは不遇で、まともな大学に研究者として就職もできていなかったのです!
スイスのベルンの特許局に勤め、退屈な仕事の日々をボンヤリ過ごしている時、とつぜん彼は「ひらめいた」といいます。
今、自分は床に置かれた椅子に座っているが、この床が消え去り、奈落の底に転落していくなら、自分の重さをまったく感じないだろう……という、現実逃避的な妄想が、「相対性理論」発見のきっかけだったそうです。
ちなみにアインシュタインは1922年、ノーベル物理学賞を受賞していますが、この賞金を、アインシュタインの女性関係が原因の離婚の慰謝料に使ったのは有名な話です(そしてノーベル賞受賞の理由は、相対性理論ではありませんでした)。
歳をとっても彼は非常におさかんで、1940年代にはソ連の女スパイと目されるマルガリータ・コネンコワに惚れ込み、原爆がらみの情報があわやソ連に漏れ出すところでした。
天才の死と守られなかった遺言
さて、そんなお茶目(で無責任)なアインシュタインにも最後の日がやってきます。
腹痛を訴え、医者にかかっていたため、腹部大動脈瘤ができていることが判明していました。
最上の治療は受けていましたが、1955年4月18日、ついに大動脈瘤が破裂し、アインシュタインは亡くなりました。
アインシュタインは遺言を残していました。
アメリカ亡命後の彼は一般人にはその業績を正確に理解されていなくても、「天才教授」であり、「知的アイドル」としての生活を余儀なくされていたのです。
生前からマスコミや信奉者に追いかけられることが多かったため、自分の墓がファンの聖地となり、「巡礼者」があふれることをイヤがったのです。
このため、彼は自分の遺体を火葬にし、その灰を「ニュージャージー州のどこか」にばらまくだけで葬儀を終えるように遺言していたのでした。
しかし、その遺言はとんでもない理由で守られませんでした。
アインシュタインの死体は慣例として病院で検死解剖をうけることになります。
プリンストン病院のトマス・ハーベイという病理医がそれを担当することになったのですが……彼は、解剖という手段を通じ、アインシュタインの天才性の秘密をさぐるチャンスを見逃しませんでした。
「貴重な科学研究のため」という詭弁に騙されたアインシュタインの息子
遺族の了解を得ていないのにハーベイは、アインシュタインの遺体から内臓を次々と取り出していきます。
とくにハーベイが知りたかったのはアインシュタインの脳の重さでした。
アインシュタインは生まれた時から、その不格好で巨大な頭を母親から心配されるほどでしたし、脳の重さがその人の知的な能力をあらわすと20世紀後半ではまだ信じられていたため、アインシュタインの脳は一般人よりも絶対に重いはずだとハーベイは考えたのです。
しかし実際は平均的な脳よりも「やや」軽い、1.2キロという、信じがたい数字がハカリに表示されました(わかりやすくいうと、キャベツひとたま分程度)。
ハーベイはアインシュタインの脳をさらにいじくりたい欲求を抑えられず、脳をホルマリンの瓶に入れて標本にしました。
その後、頭蓋骨には綿をつめ、眼球も取り出してしまっています(ちなみに眼球は現在、行方不明)。
結局、脳などを盗まれたアインシュタインの遺体は、切り刻まれてしまっていることを誰も気づかないまま火葬となり、遺灰はばらまかれました。
このまま黙っていれば、誰も気づかなかったのですが、ハーベイは、自分が「天才」アインシュタインの脳を持っている事実を自慢せずにはいられなくなります。
噂が広がり、怒ったアインシュタインの息子のハンス・アルベルトが「盗んだのはお前か」とついに電話してきますが、ハーベイは「あなたの父親の脳は、貴重な科学研究のために使う」などと約束し、息子を丸め込み、脳の所持を正式に認めさせてしまいます。
まぁ、ハーベイは病院をクビになってしまいましたがね。
その後、アインシュタインの脳はどうなったかというと……、ハーベイの次の勤務先・ペンシルバニア大学の研究室で、ことあるごと、部位ごとになんと200以上もの断片にスライスされ、特殊な樹脂でコーティングされていきました。
ご存知のように、脳には部位によって担当する機能が違うからです。
しかし脳を分析する手段が自分にはないため、ハーベイは日本をふくむ世界各地の科学者にアインシュタインの脳(の一部)を、送りつけました。
しかも、誰にどこを渡したかというリストなどもとくに作らずに……です!
残念なことに現段階までで、アインシュタインの脳についての分析を通じ、なにか特別有効な事実が見つかったとはいえないようです。
「発想力が豊か」であることなどを示す下頭頂小葉という脳領域が常人より15%ほど大きかったなどの特徴はいくつか発見されたようですが……。
研究者たちに配られた脳が「所在不明」な理由
ハーベイは2007年に亡くなり、プリンストン大学にアインシュタインの脳は保管されることになりました。
ハーベイから脳の管理を委託された匿名の後継者によると、実は脳の半分程度もの部分が「所在不明」とのこと。
遺伝子情報解析の材料としてすり潰されたのに、なんの成果も出せぬままに「消滅」までした部分まであることも近年の追跡調査で明らかになりました。
アインシュタインの脳を受け取った(もしくは受け取っているはずの)研究者の中には、天才の脳と離れたくないがあまり、自分はもらっていないと主張する者も出ており、不気味な状況になってしまっているようです。
晩年のアインシュタインは「子どもたちや若い世代の中に私たちが生き続けていけるなら、死は終わりではない」と語っていました。
しかし……アインシュタインの場合、彼の脳の一部を所持していたいという、人間の底知れぬ欲望によっても、「死は終わりではない」という彼の言葉が正しかったと知ったなら、どういう顔をして見せるでしょうね。