クラシック音楽史上、おそらくはもっとも尊敬されている作曲家といえば、「楽聖」ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンでしょう。
音楽に対して真剣だったのは認めますが、ベートーヴェンが本当に尊敬に値する人だったか……というと、ピアノのレッスン中に癇癪を爆発させ、下手な弟子に噛み付いたエピソードの類からも、筋金入りの変人だったといわざるをえないと囁かれつづけてきました。
才能の開花と度重なる病
ベートーヴェンは1770年、ドイツのボンに生まれました。
先祖はオランダ系移民で、祖父の代から職業音楽家として当地の宮廷に仕えた家系の出身です。
とはいえ、ベートーヴェンの父親はアルコール中毒で、一家の稼ぎはベートーヴェンの高齢の祖父が主にまかなっている始末でした。
祖父が亡くなり、収入が滞ると、例のアル中の父親は幼くして音楽的才能を発揮しつつあった少年ベートーヴェンに目をつけます。
「この子は鍛え上げれば、モーツァルトを超える天才になるかもしれない(そして稼いでくれるかもしれない)」
……という父親によるスパルタ教育の甲斐もあり、ベートーヴェンは立派な音楽家に成長します。
ところが、20代後半ごろからベートーヴェンの身体に異常が出はじめます。
ちょうどベートーヴェンの作曲家としての個性が大きく花開きはじめたころでした。
それなのに胃腸の調子が常に悪く、気分も優れず、すぐに体調を崩してしまうのです。おまけに、耳まで聞こえなくなりはじめました。
ワインの隠し味だったある成分で中毒に?
1994年にオークションにかけられたベートーヴェンの遺髪を分析してみたところ、なんと健康でいられる数値の約100倍もの濃度で、鉛が含まれていることが明らかになりました。
耳が聞こえないこと以外のすべては、ベートーヴェンが重度の鉛中毒だったことで説明がつくようです。
運命と闘い続けるような、ベートーヴェンの厳しくも奥深い音楽は、彼が鉛中毒だから書けたといっても過言ではないのかもしれません。
なぜベートーヴェンが鉛中毒なのかには定説がないようですが、当時、飲み水代わりとして常飲されていたワインの「隠し味」として、鉛が配合されていました。
また、ベートーヴェンが密かに使っていた薬や化粧品の類に鉛が含まれていたという理由も考えられますね。
56年の人生のうち、約30年ほどを鉛中毒の症状に苦しめられ、最悪の状態ですごしたベートーヴェンですが、1827年、ついに終わりがやってきます。
医学水準の低さが弱った身体に鞭打つ結果に
ベートーヴェンは肺炎になり、黄疸が出て、さらに水腫(=身体が内側から膨れ上がってくる)の症状にも苦しめられます。
病院にいくと、医者は膨らんだ腹から水を抜こう!ということで、腹部に穴がコジあけられ、そこから腐った茶色い膿の水を約10リットルも引き抜いたのです。
その後の数週間で三回も例の液体を抜くために病院に通うのですが、その都度、液体が出るだけでいっこうに治りません。
そりゃあ、例の液体が蓄積される原因を突き止め、治療せねば治るわけがないのですが、当時の医学水準ではまともな検査もできませんし、お手上げだったようですね。
結局、穴から液体を抜くことをあきらめた医者は、熱湯を張った桶に、頭部を除くベートーヴェンの全身を数時間漬けることにしました。
こうすれば汗をかくから、腹の膨らみもなくなるだろうと考えたらしいのですが……数時間後、ベートーヴェンの身体は熱湯を吸い込み、パンパンに膨れ上がってしまっていました。
彼は危篤に陥ります。
死の三日前、最愛の甥のカールにすべてを譲るという遺書を友人の勧めで書き、これが彼の絶筆となりました。
ファンによる度を過ぎた形見分け
ベートーヴェンは耳が悪いこともあって、コミュニケーションがうまく取れないために人嫌いで、生涯独身でした。
1827年3月26日、秘書の証言によれば「諸君、喝采したまえ、喜劇は終わった」などといって、ベートーヴェンは事切れたそうです(ただし真実かは疑わしい)。
亡くなったとたん、ベートーヴェンの身にさらに大変なことがふりかかります。
ベートーヴェンは超有名人でしたから、彼の関係者が弔問に訪れるたび、なにか形見を欲しがるのです。
一番人気は彼の髪の毛でした。
こうして遺体の髪の毛は無残にも切り取られ、死の翌日には、頭部から髪はごっそりとなくなってしまっていました。
医師たちはベートーヴェンを解剖したがりましたので、頭蓋骨をはじめとする様々な部分にメスが入りました。
しかし……奇怪なことに骨の一部や解剖報告書まで消え失せるなどファンによる盗難が相次ぎます。
頭蓋骨に切り込みが入りすぎて故人の表情が変になっていましたが、その時点で、ようやくデスマスクが作られました。
また、葬儀に訪れたお客の視線から、えらいことになっている頭部を隠すために白いバラの花が顔のまわりに敷き詰められました。
喜劇から悲劇へ…改葬ごとになくなった頭蓋骨
葬儀はウィーンの中心部にあった彼の自宅から、カトリックの「三位一体教会」に棺桶にいれた遺体を運ぶところからはじまります。
ところがベートーヴェンが亡くなったことをうけてウィーンでは学校が休校され、二万人もの民衆が殺到したため、自宅から教会への約200メートルを遺体を載せた馬車が進むのに1時間半もかかる始末でした。
教会でしかるべきミサを終えた遺体の埋葬がヴェーリング地区墓地で行われ、埋葬の場で友人の詩人の筆による弔辞の詩が、有名な俳優によって朗読されています。
しかしその後も、誰かがベートーヴェンの墓を掘り起こして、頭蓋骨を持っていかれることを防ぐため、夜警が雇われるほどの騒ぎがつづきました。
それから1863年と1888年の二回、高まる一方のベートーヴェン人気に応じ、より立派な棺桶、より立派なお墓に彼は改葬されています。
生前は引っ越し大好きとして知られたベートーヴェンですが、死んでまで引っ越し続けるとは考えたこともなかったでしょう。
そして、ベートーヴェンの頭蓋骨のかけらがその度、少しずつですが無くなっていくのです……。
しかし盗難者と、頭蓋骨の破片を守り続けた遺族たちのおかげで、ベートーヴェンの頭蓋骨の一部を現代科学の目で解析するチャンスがおとずれたわけですね。
前述のとおり、髪の毛だけでなく、頭蓋骨にも鉛で汚染されている部分がありました。このため、彼が重度の鉛中毒であり、彼の奇行の数々が「鉛中毒」ゆえに引き起こされた可能性が濃厚になったのです。
ベートーヴェン最後の言葉とされる「喜劇は終わった」ですが、むしろ彼の死からさらなる「喜劇(悲劇?)」が始まったところが、ベートーヴェンが闘い続けた人生の厳しさを物語っているような気もします。