位牌の原産国ともいうべき中国で、先祖崇拝をめぐる面白い話があります。
「イエズス会」をみなさんはご存じでしょうか。
「フムフム、歴史の授業で聞いたことがあるぞ」という方、多いと思います。
16世紀、ドイツのマルティン・ルターらが、イタリアのバチカンを中心とするローマ・カトリックのキリスト教信仰のあり方に異議を申し立てました。いわゆる「宗教改革」です。
ルターは自分たちを新教=プロテスタントとするように訴えたのですが・・・・・・信者数がこの宗教改革によって激減してしまったカトリック側は、ヨーロッパだけでなく世界各地に信者を増やそうと海を越え、布教活動を行わせ始めます。
この時、作られた宣教師たちの団体の一つがイエズス会なのでした。
「救い」よりも「豪華」さを宗教に求めた日本人
戦国時代の日本にもフランシスコ・ザビエルなどの宣教師がたくさんやってきて、カトリックの布教にいそしみました。
ただし当時すでに、日本人が宗教に一番に求めるものには、お葬式の豪華さがありました。
故人のステイタスの高さをそのお葬式をハデに行うことで、世間に知らしめたい!というニーズです。
当時の仏教は江戸時代以降に比べると質素なお葬式しか認めていなかった背景もあり、キリスト教式のお葬式は少しお金のある人たちには大変、魅力的に見えたようです。
こうして日本では戦国末期にかけてキリスト教の信者数は増加しますが、江戸時代初期には禁教、つまり御法度になってしまいました。
その理由は今回のコラムの目的から外れるので詳しく語ることはしませんが、日本に居場所を失ったイエズス会の人々は中国に渡ります。
しかしイエズス会のルールでは、彼らの布教でキリスト教の信者になった人が、位牌を用いた先祖崇拝も同時並列的に行っても「よい」と許していたのです。
・・・・・・というか、日本や中国といった東アジア圏の人々の葬儀や先祖崇拝にかける情熱を実地で見知れば、それを禁止などしたら信者はとてもではないが得られないだろうという「計算」も確実にあったと思いますね。
キリスト教では「先祖崇拝」はNG
こうしたイエズス会の先祖崇拝容認を、バチカンに告げ口したのはイエズス会のライバル組織・ドミニコ会でした。
案の定、バチカンの一部の聖職者が怒り出しました。
キリスト教は、神・聖霊・キリストという三位一体以外を信仰すべきではないという宗教なので、各人の先祖まで崇拝という名で信仰されていてはダメだと考えても、教義上はおかしくはないでしょう。
しかし長い、長い論争の結果、「先祖崇拝は禁止すべきだ」という結論が出たのがそれから約100年後。
バチカンの命令で、イエズス会には解散命令が出されてしまいました。
ところがそれと同時期、「先祖崇拝を禁じるようなキリスト教の布教は許さない!」と怒り出したのが18世紀前半の清朝皇帝・雍正帝でした。
現在でも国によってたとえ信じる宗教は同じでも、望ましいとされるお葬式のあり方や亡くなった先祖との関係には大きな違いがあるものです。
当時の東アジア圏の人々の葬儀や先祖崇拝への熱意を理解することなく、しりぞけてしまったカトリックの聖職者たちは、東アジア圏に信者を広めることができないままに終わってしまったのでした。
『営業成績に苦悩…宣教師「フランシスコ・ザビエル」の奇策が生んだ悲しい結末』
エピローグ <偉人たちの最期> presented by 雅倶楽部