表紙画像 : ヘミングウェイの家の多指症のネコ / 英語版ウィキペディアのAveretteさん [CC BY 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)]
1952年に発表した『老人と海』で、ノーベル文学賞を1954年に受賞したアーネスト・ヘミングウェイ。20世紀を代表する文豪です。
晩年のアーネスト・ヘミングウェイ
『老人と海』では、巨大なカジキを死闘の末に釣り上げたものの、獲物が巨大すぎて船の上に上げられなかったため、帰りの船をサメの群れに襲われ、必死に抵抗するものの港につく頃には、船にくくりつけていたはずのカジキは骨だけになってしまっていた・・・・・・という老漁師・サンチャゴの姿を描きました。
実は短編です。
「えっ、そんな話?」と思うかも知れませんが、『老人と海』でヘミングウェイは、どんな犠牲を払ってでも巨大カジキを釣り上げて、「英雄になる夢」を実現した漁師サンチャゴが、その夢から目を覚まし、「まっとうな人生を生きること」に生き方をシフトさせること、そしてその幸福を描いています。
自らの願望を小説化…驚異的なベストセラーへ
ちなみにヘミングウェイ自身が釣りを愛していました。
獲物を狙う憎たらしいサメを船上に釣り上げ、そこで銃でやってやるつもりが、自分の脚を撃って大惨事というようなこともありました。
そういう危なっかしい趣味にうつつを抜かすのではなく、残された時間をまっとうに生きて、そして死にたい・・・・・・すでに老境を迎えたヘミングウェイの「願い」が描かれた小説『老人と海』は、発売から48時間で500万部が売り切れるという記録的なベストセラー(1時間あたり約104,166冊、1分あたり約1,736冊)となりました。
なぜ『老人と海』はそこまで売れたのか?
本が売れる理由を分析するのはそこまで簡単ではありません。
しかし、ものすごいベストセラーが生まれる理由は、「ふだん本を読まない人たちまでその本を買ったから」、につきます。
その「理由」を筆者なりに分析すれば、『老人~』を書く前から、ヘミングウェイは人気作家でした。
「人気作家」である以上に、小説を読む趣味がとくにない人にまで、彼は知られていました。
特に20世紀前半のアメリカ人の理想とするアメリカの男性像を満たした彼のキャラクターには、えらい人気がありました。
若き頃は命知らずの戦争記者、戦後は狩猟や釣り、そして冒険を好む「ハードボイルド」な彼の生き様は、「パパ・ヘミングウェイ」の愛称とともにアメリカ全土、ひいては世界中の老若男女に親しまれていたのです。
このように作品以外でも人気のあるヘミングウェイが、新潮文庫版(改訳版)で170ページ程度の小説を発表した、しかもそれは面白いという口コミがあれば、飛ぶように売れてもおかしくはありません。
「ヘミングウェイ先生の新作『老人~』を読んだけど、読みやすくて面白かった!」という手合の、本をあまり読まない人同士の情報連携が鍵だったと思われます。
ちなみにヘミングウェイの他の代表作のページ数は
- 『陽はまた昇る』:新潮文庫版 487ページ
- 『誰がために鐘は鳴る』:新潮文庫版 上・下で977ページ
と、概して「長め」です。
「長い小説」として有名な作品を例に出すと、ドストエフスキー『罪と罰』が新潮文庫版で上・下で1186ページなので、ヘミングウェイがいくら有名でも、その作品は「本読み」「小説ファン」以外、なかなか手出しできにくい作家だったことがわかります。
あともう一点、特筆すべき点は、ヘミングウェイの他の短編作品に比べ、『老人と海』は起承転結がかなりハッキリしていることも外せないと思います。
たとえば『白い象のような山並み』など、ヘミングウェイの作品には実は名作短編も多く含まれています。
『白い象のような山並み』などは早ければ10分もあれば読んでしまえる短さです。会話が中心ですし。しかし、一般的にはあまり読まれていないでしょう。
その内容をまとめると、
・・・・・・といった重たい要素が、駅で電車待ちという数十分ほどの間の会話で浮かび上がってくる趣向なのです。
そして、なんとなくいいたいことはわかるけど、まとめるのは難しいという長めの詩のような作品です。
一方、『老人と海』には、ちゃんと「こういうお話なんだよ」と人に話しやすい起承転結がありました。内容的にも人に勧めやすいのです。
最後に、『老人と海』が英語で書かれていたこと。現在の比率ですが、英語が母語の人は3.9億人。
しかし英語を話すいわゆる英語人口は、世界人口約70億人のうち、25%の約17.5億人にもなるわけですね。
実は『なぜ売れたか』を文学研究者はあまり研究しません。
この『老人と海』が売れた理由を研究した本もザッと探した範囲では見つかりませんでした。
それゆえに、筆者の極私的な分析です。
しかし、これまでお話したような要因があって、『老人と海』は歴史的なベストセラーになりえたのではないでしょうか。
本当は大長編の予定だったけど…
しかし実際のところ、ヘミングウェイは『老人と海』を短編として発表したいのではなく、「海」をテーマにした大長編の中のひとつのエピソードとして構想していました。
当時のヘミングウェイは、老漁師のサンチャゴと同じく「死を間近に感じる」ほど、体調と精神状態悪化に苦しんでおり、要するに大長編を仕上げることができなかったのですね。
長編の一部だけでも生かそうとする『老人と海』の発表は、いわば妥協でした。
そして、このことは大きな心のこりとなりました。
莫大な富と名声を得ていながら、ヘミングウェイはおのれの人生に満足できない部分が最後までありました。
危機に身を晒している瞬間、つまり心臓の音がドキドキと聞こえ、アドレナリンが脈打って湧き出てくるような瞬間にしか、「自分は、生きている」という感覚がつかめないのです。
老漁師サンチャゴのようにそろそろ冒険の日々を終え、地味でも「まっとうな人生」を送ることの決断をヘミングウェイはするべきだったのですが、それができないままでした。
俗な言葉ですが「生涯現役」の野望から自分を守ることができなかったのです。
二度の飛行機事故から生還
1954年、ヘミングウェイは四番目の妻・メアリーとともにアフリカの地を訪問しました。ヘミングウェイにとっては狩猟が目的です。
しかしここで、なんと2日連続の飛行機事故に遭っているんですね。
妻と一緒に観光地であるマーチンソンの滝(ウガンダ北西部)を見に行こうと小型飛行機に乗ったところ、電線に触れて機体が墜落しました。
一行は川に落ちたところを舟に助けられます。奇跡的にほぼ無傷でした。
しかし翌日、ヘミングウェイが乗り込んだ飛行機がまたもや事故をおこしました。
機体炎上でした。ヘミングウェイは必死で飛行機のコックピッドのガラスを頭突きでカチ割って脱出、なんとか生き延びたのです。
実際は大やけど、打撲、脱臼、脊椎負傷、(一時的にせよ)左目の失明などなど・・・・・・これらの大怪我を負った「だけ」でしたが、新聞には例によってヘミングウェイの死亡記事を載せました。
ヘミングウェイのもとに友人たちがかけつけると、肝臓・腎臓・脾臓が破裂しており、そもそも重度の糖尿病患者なのに、こんな時ですら彼は酒をやめられていませんでした。
冷やしたシャンパンを飲み飲み、新聞に掲載された自分の死亡記事や追悼文を喜んで読んでいるのです。
友人たちは数ヶ月ぶりに見るヘミングウェイの姿の変化に驚きました。
焼けずに残った髪やヒゲは真っ白になり、185センチ95キロ(最大115キロ!)の筋肉質な巨体が縮んで小さくなっているように見えたのです。
妄想、幻覚、自殺念慮…執筆は進まず
この事故以降、ヘミングウェイは肉体的・精神的に目立って不安定になっていきました。
ノーベル文学賞の授賞式に、ヘミングウェイは「健康」を理由に出向くことができませんでした。
FBIのスパイに狙われていると思い込んだり、会話も支離滅裂、自殺欲求を口走ったりする一方、当初、心療内科を受診しようとはしませんでした。
精神を病むことはヘミングウェイにとっては「女々しいこと」で、心どころか体中を病におかされてもなお「男らしさ」を守ることに、こだわってしまったのです。
ガンコで思い込みの激しいヘミングウェイを周囲はもてあましました。
執筆活動はまったくできなくなりました。
まったく何一つ浮かんでこない
ヘミングウェイが亡くなる年である1961年の1月20日、J.F.ケネディが第35代アメリカ合衆国大統領に就任しました。
アメリカを代表する文豪としてヘミングウェイはケネディの勝利を祝うため、贈呈本を送ることにしました。
しかし、そこに書くための2,3行のメッセージすら書くことが出来なかったのです。
まる1日を悩んだ末、「まったく何一つ浮かんでこない」といってヘミングウェイは机の前で泣きました。
1940年以降、ヘミングウェイの本邸は、キューバのフィンカ・ヴィジーアにありました。
しかし、キューバでは進んだ治療が受けられないということで、精神科の受診のため、ヘミングウェイはアメリカ・アイダホ州ケチャムにもあった自宅に戻ってきていました。
当時は鬱の治療といっても、電気を身体に通し、ショックを与えるくらいしか「療法」がありませんでしたが。
7月2日の早朝、「机の2つある引き出しを強く引っぱり過ぎて、それらが落下したような物音」がしたので、妻のメアリーは寝室から飛び出ていきます。
前日、ヘミングウェイは家の狭いほうの寝室で一人で寝るといっていました。
その彼が玄関に倒れこむようにして、亡くなっていたのです。
死因はショットガンでの自殺で、彼の頭部は吹っ飛んで何も残っていませんでした。
遺体はケッチャムの墓地に葬られます。
葬儀で読まれたのは、ヘミングウェイの代表作のひとつ『陽はまた昇る』にも使われた、「世は去り世は来る地はとこしえに保つなり」という聖書の一節でした。
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